にほんごではなそ

豊かな日本語表現を獲得することを目的としたブログ/最近はSnow Man多めです

ささめ丸のセクシュアリティ諸々と恋愛について

こんばんは、ささめ丸です。

前回、「恋バナ」についてグチグチ書いたので、今回は恋愛について書いてみようかなと思います。

 

(前回の投稿)

sasamemaru.hatenablog.com

 

さ、今回はめちゃめちゃ長い(8000字近い)のでさくっと目次を作りますね。

 

 

 

◎ささめ丸のセクシュアリティセクシャリティ)について

 まずは恋愛の前に自分のことから言及します。

 これはマジで反省なんですけど、LGBTQ+に最大級の関心があったのが中・高・大学くらいまでで、現在のところ意識もあまりしてないのでちょいちょい言葉を間違えていたらごめんなさい。ちゃんと調べて書きますが、ご勘弁を。あまりに見過ごせなかったらコメントとかで教えていただけると幸いです。

 ちなみにセクシュアリティセクシャリティの表記ぶれ、私も気になります。けど今のところ統一する気は無いので気にしないでください(無茶振り)。

 

 さて、セクシュアリティといってもなんだかよく分かりませんよね。私も分からなくなってきました。ので、コトバンク日本大百科全書(ニッポニカ)から引用してきました。

狭義の性行為だけでなく、性と欲望にかかわる人間の活動全般を指す語。ただしこの語は「セックス」や「ジェンダー」と複雑に絡み合っており、厳密な定義は困難である。

セクシュアリティ(せくしゅありてぃ)とは - コトバンク

 

 なるほど分からん。ということでいったんセクシュアリティという言葉から離れて単に性自認やら性的指向(どのような対象を好きになるか、ならないか/さらにはどのように好きになるか)の話をしていきましょう。性的嗜好の話はしません。

 

1.ささめ丸の性自認

 前回、性的指向についてはクエスチョニングと言いましたが、性自認については何一つ迷うことはありません。僕は女です。ちなみに体も女です。

 ただ、セックス(体の性)としてはパッキリしているのですが、ジェンダー(社会的性差)はそうもパッキリいかないんですよね。いや、自分が女性であることに何一つ異論は無いのですが、社会から求められている(と自分が感じる)女性像に自分を当てはめるのはとても抵抗がある。

 例えば、ミニスカートでも穿いていない限り基本的に座るときには脚を開いてみたりですね。これは根本的には私の行儀が悪いのが原因ですけど、「女の子だから脚は閉じなさい」という言説には永遠に反抗していきたいですね。

 初めて反抗心を抱いたのは多分小学校の卒業式だったと思います。まあスカートではありますけど、そんな脚を開いたからってパンツが見えるような丈ではなかったです。それなのに男子はこぶし一つ分脚を開けて、女子は完全に閉じるなんて、卒業式の予行練習含め何時間も脚を閉じ続ける辛さ、反抗心を抱くには十分です。

 また、電車の中でも脚を広げる男性に対抗して脚を開いてましたね。もちろん常識の範囲内ですよ。意見広告なんかでも「脚を閉じましょう」といったメッセージの客体は女性が多いような気がして、「男が閉じるんなら脚閉じてやるよ!」といった心意気で電車通学していました。

 後は体毛ですね。個人的にムダ毛という言葉は嫌いです。私の体毛はムダじゃないという熱いパッションをもってお送りいたします。「女性はムダ毛があってはならない」というメッセージを受信するたびに「うるせーーー!」と感じてしまいます(受信する「たびに」は話を盛りました。ごめんなさい)。ただ、こんなにも気になるのは私にも体毛を「ムダ毛」と感じている時代があったからですね。小学校高学年から中学生あたりですね。高校生の時も剃っていたかも。こう見ると結構長いですね。その時代があったからこそ、「体毛が生えているのがちょっと恥ずかしい」という意識から抜け出るのに体力が要るんですね。まあ元々剃毛はめんどくさいですからね。「何でこんなにめんどくさいことをやっているんだろう・・・やりたくねぇな・・・・・・」というところが始まりなので、ジェンダー問題について考えて、とか高尚な始まりではないです。剃毛をしない自分が暮らしやすいように、ジェンダーを変えていこうという感じですかね。なので、たまに女体にも体毛はあるんだぞキャンペーンを打ってます。膝丈~ロングスカートくらいであればすねの毛は温存して大学に行っていました。

 また、可愛い服を着ているときに「女性だから」と判断されるのが嫌いです。「女性だから好き」なんじゃなくて単に「私が好き」だから選んでるんだという気持ちです。もちろん、「可愛い」への繋がりやすさに性差が多大な影響を与えていることは分かっています。自分が男性だった場合に今のような嗜好になっているかと問われれば、分からないしそうでない可能性のほうが高いと思います。が、性別で判断されたくないという気持ちが強い・・・・・・。

 あ、一つだけ注釈つけておきますね。いつなんどきも所謂「女らしさ」への反抗をしている訳ではありません。ロリィタ服を着ている時は別です。これは美意識の問題ですね。ここは強めに言っておきたいのですが、体毛がある状態が美しくないという訳ではないです。体毛には体毛の美しさがあります。ただ、それはロリィタ服を着るときの美しさとは別物であると考えているので、ロリィタ服を着るときには体毛は剃ってしまいますね。ただ、体毛を剃らないロリィタさんをどうこう言うわけでもありません。個人の自由ですからね。また、脚も閉じていたほうが視覚的に上品なので閉じるまでです。これは言っておきたかった。

  さて、性自認、というかジェンダーについて長々と語ってしまいましたね。次に行きましょう。

 

2.ささめ丸の性的指向

 さて、ここはさらっと行きますよ。何度か申し上げているように、ささめ丸は恋愛と程遠い位置におり、誰かを恋愛的な意味で好きになったことはないと思っています。「思っています」と曖昧な言い方をしているのは、「何をもって恋愛としての好きと判断するか」ということがいまいち分かっていないためです。こう言うからには迷っている微妙な「好き」があるのですが、それは次の恋愛の項目で深く言及します。

 その微妙な「好き」は男性にも女性にも、はっきりしない方々にも抱くものであるので、仮の性的指向は「ヘテロセクシュアル以外」ということにしておきましょう。

 ちなみに、画面の向こう(マンガ・アニメ・映画)で好きになるのは男性が多いです。アメコミヒーロー物だと、魅力的な女性が沢山いるので女性も好きになることが多いですね(でもこれはほとんど分かりやすい憧れの感情です)。身近な場合だと、女の子のほうが多い気がします。あ、だけれども高校時代の推し教師は男女一人ずつでしたね。二人とも可愛かった(話がずれていく)。

 

 

◎ささめ丸と恋愛について

 さて、ここからさらに回りくどくよく分からないことになっていくと思います。準備はいいですか? 私は考える前に走り出そうと思います。

 

1.これはどういう「好き」なのか?

 私も「好き」という感情を抱くことはあります。しかしそれが恋愛的な意味なのか分からない(何度もすいません)。

 私の中で、原因(と言うと言葉が悪いかもしれませんが)はこれかな?というものはあります。それは「2次元」です。いわゆるオタク批判とかではないので警戒しないでいただきたい。

 思春期に入る前から2次元に軽く親しみはありました。もちろん子供の頃から子供向けアニメやヒーロー物は見ていました。私の人生を大きく変えたのは確か小5の頃だったと思います。ネット検索の海から2次創作にたどり着いたのです(最初は確か*夜叉の殺生*とりんちゃんのイラストサイトだったような気がします)。そこからあれよあれよと(何故か)ジャンプ系の2次創作(夢小説(/非夢小説)・BL小説)に嵌っていきました。そのため、それまでは自分になかった「推し」という概念が植えつけられたのです(当時は何て表現していたのでしょうか、忘れました)。推しキャラ、推しカプ、様々いました。

 振り返ると「こういう系統、好きだよな・・・」と感慨深いですが、それはまた別の話ですね。そこからE*レ番組に移行していって、MARVEL沼に移行していったのですが、それもまた別のお話。

 閑話休題。そう、推しキャラが様々いたということは、割と軽率に「好き」となっていたのです。ですが、その「好き」って恋愛的な好きではないじゃないですか。相手(キャラクター)が絶対的に客体であって自分の意思を持たないモノだからこそ軽率に好き好き言って愛でてたんですよ。だから、私の中の好きっていう感情は圧倒的に「自分が主体で相手が客体」であるのですよ。だから生身の人間(これは女の子が圧倒的に多い)に対して「好き」って思うのも、相手を意思のある主体的な人間として認めていないような気がしてよく分からなくなってくるのです。「好き」になる理由は圧倒的にビジュアルなのですが、それって架空のキャラクターに対する好き(相手を客体と見做す好き)と同じなのではないか?と考えてしまって、そんな失礼なことを「恋愛的な好き」とは認められないと考えているのです。

 こんなに回りくどく考えているということは「それって恋愛的な好きなのではないか?」という疑念も自分の中にあるわけですよ。世間一般の所謂恋バナを聞いていると案外みんな軽率に恋愛してるなと思うわけで。ですが、私はこれを恋愛とは認められませんね。これで認めてしまったら、なんだか殺伐としているように感じてしまいます。私、自分のことロマンチストだなんて思ったことないですけど、案外そうなのかもしれません。恋愛とは両者(二人以上)がお互いに相手のことを思いやって人間として尊重して成立するべきであると考えているので。これって理想的過ぎますか? 皆さんもっと軽率に恋してます?

 

2.友達としての「好き」との境界

 一つ断っておきたいことがあります。前述の中で”「好き」になる理由は圧倒的にビジュアル”と述べていますが、友達になりたいか/なりたくないかを外見で選んでいる訳じゃないですからね!!! ちょっとそれは人間的に最低過ぎるので勘違いされたくないあまりに強めに否定しておきます。ただ、友達の中に「外見がとても好き」という子がいるのは事実です。あまりにも失礼なので直接は言わないですが(軽いノリでかわい~などとは言いますがガチトーンで外見がタイプとは言わないという意味です)。

 さて、友達としての「好き」との境界ですが、ちょっと分からなくなることありません? 私が精神的に友達に依存しすぎているだけですかね? 物理的には大学時代も大学の友達とはあんまり遊ぶことはなかったですし、卒業したら結果的に合わなくなるタイプの人間なんですけど。どうでもいいかそんなこと。ただ、特定の友達に対してハグしたいなと思ったりすることはたまにありました。文字にすると気持ち悪いですね。けしてセクハラ的な、性的な意味ではないと言いたいですが、そこも境界が難しいので気持ち悪ければ気持ち悪がってください。私は気持ち悪いです。でも自分のことなのでどうにも距離が置けません。いや、普通に同性の友達ならハグくらいはしますよね。でも私はしないタイプの人間だったので、「したい」と思うこと自体に戸惑いはあります。

 けど、ただ人肌寂しいだけだったのかもしれません。というかそう思いたいです。私は普段人とのハグレベルの接触はしないので(めちゃめちゃ狭いところで姉と寝ることはありますがまあそれはノーカンで)。だからかなと思います。そういうことにしておきましょう。やだ何か性の目覚めに戸惑う思春期みたい。

 また、誰彼構わずハグしたいという訳ではないので、「ハグしたい」は友達としての「好き」の範疇に収めておきましょう。

 

3.フィクションの中の恋愛に対して

 夢小説(/非夢小説)・BL小説が好きと言っているとおり、フィクションの中の恋愛は普通に楽しめるんですよ。お話として。ピーターパーカーはMJといい感じに頑張れとか思いますし、トニースタークとペッパーはめちゃめちゃナイスカップルだと思いますし(これはまた話題がそれますが、私はアメコミ映画の”いつの間にか次の彼女がいる”はあんまり許してないです!)。マンガで言うとエリアーデクロウリーとか、しんどかったですね。あれは良いカップル(また話がそれた)。

 BL小説やBLマンガを読んで心がキュンキュンするんじゃ~という気持ちもあります。ちょっとNL(ノーマルラブ:ヘテロセクシュアルな恋愛創作物。あまり好きな言い方ではないですけど)やGL(ガールズラブ)ではキュンキュンすることは少ないんですけど。だから決して恋愛自体が分からない訳ではないと思うんですよ。でも私の中で恋愛はフィクションなのか・・・・・・?

 また、私はよく夢小説的な妄想もするのですが、その中でも恋愛的な妄想をすることもあります。恋愛的な妄想と非恋愛的な妄想の比率はそれほど変わらないと思います。恥ずかしいので具体的には書かずに脳内にとどめておきますが(よく「私が統合失調症になったら恋愛妄想タイプだろうな~」と思うくらいには恋愛的な妄想はしています)。でもそれってやっぱりフィクションなんですよね。相手がマンガなどのキャラクターではなくとも(俳優とかですよ! 身近な人では勝手な妄想は夢・BL共にしませんよ!)、自分の頭の中にいるその人は非実在人物ですよね。フィクションで相手は自分の考えたようにしか動かないので、だからこそ自由に恋愛的な妄想ができるというか。自分で言っててだいぶ恥ずかしくなってきましたけど。ただ私はこの自由に動かせる妄想の中の”恋人のようなもの”について考えているからといって、自分が恋愛をしたい、誰かの恋人になりたいと思っているとは考えていません。”誰かの恋人になりたい”から妄想しているのではなく、”誰かと恋愛(のようなもの)をしている妄想がしたい”から妄想しているのです。何言ってるか分かりませんか? 私の中ではこの二つには大きな違いがあります。

 ちなみに、恋愛的な妄想をする相手は大抵(というと私が恋愛的な妄想をしまくっているみたいで嫌ですが。真剣に妄想したのは2件だけですよ!)男性で、女性のことはなかったので、この点を鑑みると自分はヘテロセクシュアルに寄っているのか?と考えますね。「ヘテロセクシュアル以外」に仮決定したのに・・・・・・。まあ性的指向なんて明確に決まるものじゃないでしょう。ということで次にいきましょう。

 

4.単刀直入に聞く。私は誰かと恋人になりたいのか? キスがしたいのか? それ以上も?

 なんだか本当に思春期みたいなタイトルですね。単刀直入に答えると、私は「誰かと恋人になりたい」とは思いません。だから「カレシ欲しい~」とか「カノジョ欲しい~」などは少し言っている意味が分からないんですよね。いや、分かりますけど。でも私の中で「好きになる→恋人になりたい」という順番は崩せないので、居もしない誰かを求めることは理解に苦しむのです。恋愛の一つもしたことないくせに、とは思いますがこれは恋愛したことないからこそなんでしょうかね。

 いや、少し嘘をつきました。私もうっすら恋人が欲しいと思ったことはあったかもしれません。でもそれは「恋人を欲しがる一般的な人」であること(状態)を求めていたような気がします。なので結局は恋人なんて要らないんですよ(言葉が強い)。

 キスがしたいかと聞かれると、まあ半々かなという感じです。特定の誰かということは考えずに極めて抽象的にキスという行為にのみ注目すると、興味はあります(言ってて気持ち悪いな)。私、さらっと申し上げるとアダルトサイトで動画を見たりもするのですが、そういうところで「キモチイイコト」としてキスが取り上げられているのを見るとやっぱり興味は湧きます。ただ、私潔癖症なんですよ。粘膜接触とか多分無理です(相手から願い下げだよ! というセルフツッコミも入れてしまいそうになっていますが、ここでは抽象的に考えているのでこらえます!!!)。だから、まあ半々です。ということで、それ以上についても同じ理由で同じ答えですね。あんまり性的なことは言わないほうがいいかなとは思ったりもしますが、「狭義の性行為だけでなく、性と欲望にかかわる人間の活動全般を指す語」(日本大百科全書)ですからね! ちょっと性的な話題にも触れてみました。

 

5.結論

 そろそろ結論に向かいましょう。この時点で6500字を軽く超えてしまっています。まあいいですけど。

 特にこれといった結論が出るようなテーマではありませんが、強いて言うのであれば私(ささめ丸)にとって恋愛とはフィクション(自分が絶対的な主体であって、相手は客体でしかない)であり、そんな気持ちを恋愛と取り違えていたら相手方にものすごく失礼であるから、引き続き勘違いしないでねということでしょうかね。私は相手のことを人として尊重したい。

 あと、色々書いていて気づいたこともあります。現在の最新の推しは雪だるま(検索よけ)の舘さんですけれども、彼に対する「好き」「推したい」という気持ちも、やっぱりどこかキャラクターに対する気持ちから一歩抜け出せていないと思うんですね。だから、舘さんのことを見て可愛い可愛いと言うのに、あんまり彼の将来のことは考えていなかったというか。もっと活躍できるように応援しようとかいう考えが無かったんですよね。そりゃもちろん彼の活動が増えれば愛でる機会も多くなるので、もっとCD出してとか、音楽番組出てとかは思ってましたけど、これって自分のために思っていただけで、彼の応援なんてしていない訳ですよね。アイドルのファンとしてこれってどうなんでしょう。ちょっと初心者なんで分かりかねますね。まあ大事なことはお金を落とすこと。それは出来ているので良しとしましょう(自分に甘い)。

 また最(新の)推しの話題になってしまった・・・・・・。はまりたてなんてこんなものですからね。

 さ、締めなおします。結論はささめ丸は恋愛に距離を置いて生きてきたが、実は恋愛に興味があった、ようでそれは恋愛ではなく恋愛的な妄想でしかなかったため、結局実際の恋愛への興味は無かった。というものでしょうかね。もちろん私の容姿がもう少し一般受けして私のキャラが陽キャで、恋愛について身近な文化圏にいれば現在は違った世界に生きていたかもしれませんが、この世界に生きる私にとってそんなことは関係ありません。これが結論だ!!!

 

 

 

以上、7500字を超える文章でしたが、お読みいただきありがとうございました。

ささめ丸でした。

 

(オマケ1)

 ここでALI PROJECTについて全く触れていませんが、それは完全に憧憬の好きだということが分かりきっているからです。また、ドラァグクイーンも非常に魅力的な人たちですが、それも「恋愛的な好き」とは間違えようもない「パフォーマーとしての好き」なので言及する必要はありませんでした。

 ただね、一応「音楽家」という括りでは推しも同じ括りにいるじゃないですか(大分強引だな)。なので推しについて言及しておいてALI PROJECTについて言及しないのは嫌だなと思って完全に蛇足ですが言及してみました。

 

(オマケ2)

(先日頑張ってひねり出した恋バナ)

sasamemaru.hatenablog.com