にほんごではなそ

豊かな日本語表現を獲得することを目的としたブログ/最近はSnow Man多めです

[感想]Doctor Strange : in the Multiverse of Madness(字幕版)

こんにちは、ささめ丸です。

月の半ばくらいにドクターストレンジマルチバースオブマッドネスを鑑賞したのですが、ダメージが大きくて立ち直れないかと思いました。

 

気持ちも落ち着いてきたので感想をば。

いつものようになんとな~く順を追って書いていきます。

もちのろんでネタバレもあります。

 

~感想~

 

公開前から思っていたのですが、アメリチャベスの顔がかわいくて好きです。

と思っていたらベネディクト・ウォンの発言で何やら未成年らしいと気づき、この度ウィキペディアを参照しましたら16歳とな。

子どもを対象にビジュアルを語ることに一抹の罪悪感を持ってしまう性分ですので「マジか」と驚き。

人種が違うにせよ大人か子どもかくらい分かるのでは?と思ってたけど自分の感覚なんて信用なりませんな。

ブログに書かなければ一連の葛藤?は誰も知ることはないけど、驚いたので誰かに聞いてほしくて。

ただやっぱり逃げ惑うアメリチャベスかわいい。

ところでやっぱり名前を呼ぶとなると「アメリカ」なんですかね。

どうも国名にしか捉えられないから違和感です。

チャベスで良いよね?ロマノフもロマノフ呼びだし(私の話)。

他の面子もたいていファミリーネーム呼びだからいいや。

まあワンダはワンダなんですけどね!

 

さて、本アースのストレンジ先生とチャベスの出会いのシーンはそれほど言及したいところはないかな。

 

ディズニー+は金銭的・時間的・精神的・主義信条的理由で加入していないためワンダビジョンは見ていないのですが、何となくは把握していました。

が、所詮は何となく。

普通にワンダと子どもたち楽しそ~と思ってたら夢オチで悲しくなりました。

夢の中の楽しそうなワンダ、眠りから覚める瞬間の幸せそうなワンダ、完全に覚醒した後の悲しそうなワンダ……

リンゴ園のシーンでは、話の流れ上仕方のないことだとは思いますが、ワンダがいきなり「アメリカ」呼びしたので強引では?と感じました。

個人的な価値観でものを言うと、あの流れだったら「彼女」とか「その子」とかで良いじゃんと思いました。

 

魔術師たちの総本山(名前把握してなくてごめんね!)でのワンダとの戦闘シーンはMCU初登場時を思い出しましたね。

思い出しただけですが。

あとフィクション的お約束が気になってしまったのですが、やっぱり「敵」として描かれると目の周り黒めにされてしまうのでしょうか……

いやまあ現実でも化粧がいつもより濃くなったりすると精神的不調のサインだったりしますが、いやでも、なあ。

お約束過ぎませんか?

いやまあ、「誰も味方してくれない、みんなが自分の目的を邪魔する、自分の望みは自分で叶えるしかない(世界中が敵になっても)」という状況で、何とか自分を奮い立たせるための防具としてのアイメイク(もはや鼻の付け根までアイシャドウ塗ってた)なのでしょうか…?

いやここまでこねくり回したけど、普通にお約束メイクなだけな気がしています。

1回しか見てないのでうろ覚えですけど、終盤アイメイク薄くなってましたもん。

多分お約束的なことですよね。

視覚的に「敵」感を感じさせるのも大事だとは思うのですが、個人的にお腹いっぱいなのでした。

 

さてマルチバースの旅。

アース番号は忘れましたが、ファッションが好みなアースでしたね。

ちょっとゴシック調?というか、原宿に居そうな感じでしたね!

ここでもまた疑問なのですが、チャベス故郷回想シーン。

マルチバースを渡る非常に珍しい能力があるからワンダに追われている訳ですが、お母さんたちにはマルチバースを渡る能力はないんですよね?

でもあのシーンを見ると、チャベスが初めて能力を使ってしまう場面なのに「そうなることが分かっている」ような慌て方じゃありませんでしたか?

お母さんたちも同じ能力を持っているまでは言いませんけど、同じ種族の中でまれに発生する(でも数千年に1人とかではない)くらいの珍しさなのでは?と思ったり。

でもまあここを掘り下げてもどうにもならないし、たぶん原作を読めばいいのでしょうけれど、個人的リソースが足りないのでそこまで手は伸ばせないです。放置!

 

モルドさん。

こっちのアースではそんな感じなんだ~気持ち悪~と思いましたが普通にモルドさんでしたわ。

ストレンジ先生もチョロいのね。

さてイルミナティ。モルドさんの席あった?

アベンジャーズはおらんくて、インヒューマンズとミュータントはいて、ウルトロン的なのはいて、ファーストアベンジャーとキャプテンマーベルはちょっと違う人で、でイルミナティがサノスと戦う…と。

なんだか凄いアースですね。

このアースではストレンジ先生が禁忌に手を出してサノスに勝利したとのことでしたが、そうなると本アースでの8万幾通りの内の1通りの勝利ルートもなんだかな、と思ってしまいます。

あのルートでなくても勝利したのでは?と思ったり。

でもあそこで石(もはや何ストーンかも忘れているという)を渡さねばトニーも死に、ストレンジ先生も禁忌に手を伸ばす前にサノスにやられてたということなんでしょうかね。

まあインフィニティ・ウォーの話はこれくらいにしておこう。

 

そうそうマルチバースの中の他の宇宙には「他の自分」が居るかもしれないけどアメリチャベスはただ一人という点も気になったので整理しておきたい。

今回はたまたま(というか物語の都合というかMCU内の運命というか)各宇宙にはストレンジ先生(とクリスティーン)が居ましたが、本アースには今のところプロフェッサーXやブラックボルトやリードさんはいません。

いや、極一般的な人間として存在するのかもしれませんが……

ということで、私の中の理解では『各宇宙には「他の自分」が居るかもしれないし既に死んでるかもしれないし最初からいないかもしれないが、アメリチャベスはただ1人』ということになりました。

原作的に違うよ!ということがあっても私にとっては劇場で分かる情報のみが情報なので許してネ🥺

 

さて戦闘シーン。

どうしてリードさんを先頭に立たせたんです…?

彼頭が良いだけのただのゴムゴム人間じゃん?(※個人の印象です)

ワンダと対峙させるならせめてスーザンじゃない???

まあリードさんとブラックボルトは噛ませ犬だからな、深く突っ込んでもな。

この二人は面白い死に方しましたね。

ブラックボルトさんのふかふかのあごが好きです。

いやあのどや顔からの焦燥感、好きです。

リードさんはそういうグミあるよね?って死に方でしたね。

カーターもキャプテンマーベルも(画面的に)綺麗な死に方でしたね。

でもキャプテンマーベルの方は何とかすれば助かってそうだからイルミナティ全滅は何とか回避できそうですね(ナチュラルにモルドさんハブ)。

 

プロフェッサーが侵入した精神世界ではてっきりソコヴィアの故郷の(スタークインダストリーズの武器で破壊された)家かと思って泣いてたのですが、普通によく考えたらこのアースで今のワンダが住んでる家ですね?

いやでも落とされた爆弾みたいなのが見えた気がしたんですけどね……

あの構図は「it」を思い出してしまうし、普通にびっくりするプロフェッサーは人間味があって良いです。

自分の負け(死)を悟るプロフェッサーも良いですが、如何せんシルバーカーがダサすぎて萎えました。

普通に車いすでいいのに……!

 

さてさてホラーパート。

シンプルにホラー映画の作りで面白かったのでは?と思います。

ストレンジ先生しか開けられない扉、クリスティーンに貰った時計がカギなので誰でも開けられるのウケました。

あと普通に未練がましくてきもかったです(心無い言葉)。

なんやかんやあってストレンジ先生とクリスティーンペアが飛ばされ、チャベスとワンダが元の世界に戻ったあと、このアースのワンダが取り残されて、このワンダと子どもたちはどうなるの…!?と心配して泣いていましたが普通に飛んで意表を突かれました。

いやこの世界のワンダもスカーレットウィッチなんかい。

勝手に能力なしと思い込んでたのは私だけど。

 

ストレンジ先生VSストレンジ先生のパート。

私は予告編でカエシリウスさんも出ると思っていたのですが、恐らくこのストレンジ先生ですね。

ていうか劇中でも窓から見えたストレンジ先生をカエシリウスさんだと勘違いしましたもの。

ここで突然のセッションバトル?発生してウケました。

やはりホラーとギャグは紙一重ですね。

映画の最後で本アースのストレンジ先生に第3の目が開眼するときもギュイーンってましたが、第3の目=音楽なのでしょうか?

まあそんなことはどうでも良し。

 

最後の玉座(名前覚えてなくてごめんね!)での戦い。

悪霊の癖に禁則事項に厳しいなんて律儀だな、と思いましたが、悪霊と名付けたのは名付けた側の都合なので、悪霊側からしたら自分の仕事を全うしているだけなんですもんね。

ていうかそもそも禁忌(夢渡り的なこと)の癖にその中に禁則事項作ってるんじゃないわよ、と思わなくもない。

さてゾンビ・ストレンジ先生、楽しそうでなによりですわね。

結局「自分でメスを握る」のではなくて、誰か(今回はチャベス)を信じて託すことができたストレンジ先生が生き残るんですね。

思えばエンドゲームも初期アベンジャーズにメスを握らせていますし。

 

そして、最大の見せ場、子どもたちとスカーレットウィッチの邂逅。

劇中ちょこちょこ別のワンダの体で子どもたちに会っており、そのシーンでも泣いてばかりでしたが、この度はとうとう嗚咽を抑えられなくなり周囲の皆さんごめんなさいの気持ち。

でも終わりが23時半くらいのレイトショーで周りにほとんど人のいない前の方の席だったから許してほしい🥺

過去一映画館で泣いたわ。

これは泣くことに対する私の変化でもあるけど、それだけこの映画のダメージが大きかったということです。

子どもたちの反応は見ている側の私も分かっていたことだし、ワンダも努めて考えないでいたことだけれど、いつかはこの現実(「その子どもたち」にとって母親は自分ではないということ)に向き合わなければいけなかったし、ワンダを止められるのはこの現実だけだったんだなあと。

ワンダとワンダの対峙も悲しくて悲しくて。

「私が愛します」ってヤバくないですか?

正論オブ正論で打ちのめされます。

リスニング能力皆無なので最初は「私が(あなたを)愛します」だと思って泣いたんですけど、普通に考えて「(子どもたちは)私が愛します」ですね。辛い。

いやそのワンダの立場だとただの正論だけど、ひたすら辛い。

全てに絶望して全ての玉座を閉じるワンダ、悲しいです。

MCUは何度ワンダを絶望させれば気が済むのよ…!とヒステリックになってしまいます。

もう全ては武器商人のスタークさんのせいだ!とかそもそもスペースストーンを地球に落とした(?)オーディンのせいだ!とかめんどくさいモンペオタクになりそうでした。

 

てな感じでその後のストレンジ先生とかアメリチャベスとかはどうでも良く、ひたすらワンダに思いを馳せていたのでした……

がしかし、エンドクレジット後のピザボール屋おじさんのシーンは引きました。

ああいう意味のないギャグ的な暴力、苦手なんですよね。

 

帰り道、歩いている時は時間的に周りに人もいなかったのでワンダを思って存分に泣きました。

シンプルに不審者。

たまに人とすれ違う時は努めて平静を装いましたけど、暗闇で涙の痕って分かるのかしら。

まあいいや、知らん人に不審者と思われても。

 

ということで、本作はMCUで一番いろんな意味で刺さった映画となりました!

普通に悲しい!

ワンダビジョン鑑賞済みの知り合いからワンダ復帰説も聞きましたが「ヤダヤダ!あのワンダがいいの!!!」と駄々をこねそうです。

 

鑑賞直後は感傷に浸るあまり「MCU内で一番辛いのはワンダだ…!」くらいに思っていましたが、時間を置くと別の考えも出てきました。

そもそも子どもが欲しくてたまらないにも関わらず子どもに恵まれない人や絶対に妊娠できない人は現実世界にもいるし、愛する人との間に子どもが作れないのはロマノフも同じだし。

まあ愛する人がいなくなれば救う価値なんてない世界のためにいやいや愛する人の脳天をぶち抜き、直後に再生され、目の前でもう一回殺される姿を見るなんて中々ないとは思いますが。

ワンダには絶望が多すぎるんですよね。

子どもの頃戦争(内戦だっけ?)で両親を失い、大人の事情で双子のきょうだいを失い(けど今考えてみるとワンダが最大の敵になるためにはピエトロは死んでおくべきだったので、どこまでが制作側の計画なのか分かりませんね)、ビジョンを失い、幻想の家族を失い……

考えるとまたモンペオタクになりそうです(笑)

それと現実世界の子どもが持てない人たちの比較対象は他人ですけれど、マルチバースを認識しているワンダの比較対象は「他のワンダ」という点も欲望の暴走に拍車をかけたんでしょうね。

「他の人は○○なのに自分はこうだ」よりも「他の自分は○○なのに自分はこうだ」の方がより不条理感ありますもんね。

ワンダの玉座は多くの宇宙にあるにも関わらず、子どもを持てなかったワンダが一人だけであるのも辛かったと思います。

他にも子どもを持てなかったワンダが居ればまた違ったかもしれないですね。

また、マルチバースを手中に収めようとするワンダが一人だけなのも悲しいです。

マルチバースを手中に」で思い出しましたけど、劇中マルチバースを手に入れれば子どもが未知の病気になったときも他の宇宙では治療法があるかもしれない、的なことを話していて、詭弁過ぎて悲しくなりましたね。

ワンダだって本気でそう思っている訳ではなく結局は自分が子どもを持つため、というのは分かっていて、でも相手(もはや誰に対して話していたのかも覚えていない🥺)にキレイな嘘をつくつもりでもなかったと思うんです。

でも謎のごまかしをするあたりにワンダの不安定さを感じました。

何か「他の私はみんな子どもを持っているのに、私だけが持てない!ズルい!」と直接的に言えないところですね。

そこまで突っ切れないというか……

そういった意味で良い台詞だったと思います。

 

鑑賞後ツイッターで「赦される側/赦されない側」の話や「ワンダに充てられた女性役割」などの話も聞きました。

赦される側、赦されない側問題はたしかにありますよね。

今後赦された側の人たちは向き合っていっていただきたい。

ディズニー+未加入の身ですが、ロキは元々悪役なのでともかくとして、バートンさんがぬるっと赦されている話を小耳にはさみ、お前はぬるっとじゃいかんやろと思った次第です。

いやまあ、散々自分の欲を満たしてからヒーローになるのは良くて、ヒーローになってから自分の望みを叶えようとするのは駄目なのかなと思ってみたり。

いや関係ないか。

「ワンダに充てられた女性役割」も私にとって考えることが難しいかなと思います。

家族を失い続けたワンダを考えると子どもたち(家族)に固執するのは当然の流れに感じるからです。

いや待って?書きながら気づいたけど家族(妻)に固執していたのはウェンウーも同じじゃない?

ワンダとウェンウーの違いって何だろう?

ますます難しくなったけど、子どもを思って狂うのか、妻を思って狂う(いやウェンウーは元々やべぇ奴だけど)の違いなのかな?

難し~な~という感想。

まあ私にとってワンダは違和感のない行動原理だった訳です。

 

 

長々と書き連ねてきましたが(現時点で6200字超え)、言いたいことは言えたのではないかと思います。

長すぎて誤字脱字チェックしてません(笑)

 

総括としては、これはワンダの映画だ!という感想です(笑)

ひたすら悲しかったので、ソー:ラブアンドサンダーは程よく笑いたいです。

 

ということで、本日はここまでとします。

お読みいただきありがとうございました!ささめ丸でした!