にほんごではなそ

豊かな日本語表現を獲得することを目的としたブログ/最近はSnow Man多めです

西暦の非連続性が受け入れられない

こんにちは(あけましておめでとうございます)、お久しぶりです、ささめ丸です。

12月はとうとう1件も記事を書きませんでした。

 

さて、「西暦の非連続性が受け入れられない」というタイトルにしましたが、最初は「西暦の非連続性が理解できない」というタイトルにしようと思っていました。

しかし、大多数の人も理解して「良いお年を」とか「明けましておめでとう」とか言ってるわけじゃないよなと思ったり、私がそういうことをあまり言いたくないのも理解とかじゃなくて慣習が受け入れられないだけだなと思ったりしたのでこのタイトルにしました。

ということで、タイトルの説明でほぼ主旨を話し終わってしまうという。

 

まあいいです。

どうしてこの記事を書こうと思ったかというと、職場で仕事納めの挨拶があったからですね。

うちはシフト制なのでみんな一斉に仕事納めということはないのですが、事務所の人たちは一般的な仕事納めの時に納めていました。

その時にわらわらと「1年ありがと来年もよろしく」的な挨拶をしまして、それが非常に面倒くさかったという訳です。

これが年度末なら受け入れられるんです。

4月入社ですからね。

12月って、年度的には8か月しかたってない途中の月じゃないですか。

だから改まって仕事上の挨拶をするのが嫌だな~と感じた次第です。

単に社会人の慣習が嫌だっていう話でしたね。

タイトル詐欺です。

日本人としての慣習は捨てきれず、「あけおめ」を言わないのは何かむずがゆいものがあったので後から冒頭に付け足しました(笑)

 

さて、でもよくよく考えてみてください。

「昨日と今日の違い」と、「一昨日と昨日の違い」「今日と明日の違い」に違いはありますか?

地球規模で考えたら何も変わらなくないですか?

まあある地点を決めて太陽の周りを1周しているという点は違うか……(セルフツッコミ)

あとはあれですね、誕生日とかもそうですけれど「1年間無事に過ごせてよかったね」「次の1年も無事にね」みたいな考え方も、区切る必要ある?と思ってしまうんですよね。

 

久しぶりにブログを書くので取っ散らかってきてしまいました(まるで元々良いブログが書けていたかのような口ぶり)。

ということでここらで終わりにしておきます。

 

お読みいただきありがとうございました。

ささめ丸でした。